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マイセン専門店 クロードエスポール
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マイセンの歴史



ヨハン・フリードリヒ・ベトガー
せっ器メダル


アウグスト強王のチェス像


スワンサービスセット
小チュリーン


ギリシア・ローマ時代の趣き
ワインリーブス


マイセンの商標「青い双剣マーク」の
変遷を表したプレート

1709年

3月29日、ヨハン・フリードリヒ・ベトガー(Friendrich Böttger)アウグスト強王(Augustus the Strong)に、白磁の焼成に成功した事を報告する。

1710年

1月23日、白磁製作成功の報告を、王の専売特許として4言語(ラテン・ドイツ・フランス・オランダ語)で告示。12月29日、アウグスト強王は、ヨハン・フリードリヒ・ベトガーをマイセン磁器製作所の初の監督として任命する。

1713年

ライプツィッヒ見本市に初の出展をする。

1719年

3月13日、ヨハン・フリードリヒ・ベトガー亡くなる。

1720年

ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト(Johann Gregorius Höroldt)がマイセンにくる。色の科学者であり、画家でもあったヘロルトは、焼成可能な上絵付顔料を作り出しただけでなく、多くの絵付けを生み出す。

1722年

11月18日、シュタインブリュック(Steinbrück)が、アウグスト強王の紋章から双剣のマークをとり、トレードマークにする事を提案。

1731年

6月22日、ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー(Johann Joachim Kaendler)がマイセンに迎えられる。

1733年

ハインリッヒ・フォン・ブリュール伯爵(Minister Count Brühl)が、マイセン製作所の最高責任者となる。

1737年

1737年〜1741年まで、ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー とエベライン(Ebelein)が共同でハインリッヒ・フォン・ブリュール伯爵のためにスワンのサービスセットを作る。

1739年

有名なコバルトブルーの下絵付、「ブルーオニオン」文様の絵柄が発表される。

1748年

マイヤー(Friedrich Elias Meyer)が、マイセンに造形家として雇われる。

1756年

七年戦争始まる。

1763年

七年戦争終わる。

1764年

ミッシェル・ヴェクトール・アシエ(Michel Victor Acier)を造形家として迎える。

1774年

マルコリーニ伯爵(Camillo Count of Marcoloni)が、マイセンの最高責任者となる。

1775年

二人の天才、絵付師ヘロルト(1月26日)、造型家ケンドラー(5月18日)が亡くなる。

1814年

ハインリッヒ・ゴットリーブ・キューン(Heinrich Gottlob Kühn)が、マイセンに来る。

1817年

キューンが酸化クロムの緑色を開発する。この緑色でヨハン・サミュエル・アンホルト(Johann Samuel Arunhold)がデザインした「ワインリーブス」がうまれる。

1827年

キューンが光沢金を開発する。

1851年

ロンドン万国博覧会に出展する。

1862年

3回目のロンドン万国博覧会に出展し、商業的にも成功を収める。

1867年

4回目のパリ万国博覧会に出展し、マイセンは一等を授与される。

1873年

ウィーン万国博覧会で、マイセンは再び一等を獲得。

1875年

5月20日、双剣のマークを商標登録する。

1893年

シカゴ万国博覧会に出展し、1000以上の展示品を出す。
(ルードヴィヒ・シュトルムによる宝石箱など)


1900年

パリ万国博覧会に出展。
ユリウス・コンラート・ヘンチェル(Julius Konrad Hentschel)の、「クロッカスのデジュネセット」など)

1913年

パウル・ショイリッヒ(Paul Scheurich)が、「ロシアバレエ人形」を皮切りにマイセンでの活動を始める。

1937年

パリ万国博覧会で、ショイリッヒの6体の塑像群がグランプリ受賞。
「休む人」「扇子をもった婦人」「誘拐」「婦人と鹿」「アマゾンと天使」「落馬する女性」

1939年

第二次世界大戦が始まり、マイセン製作所の絵付師、陶工員も徴兵される。

1944年

マイセン美術館の作品をアルブレヒト城の地下室に保管。

1945年

対戦中、マイセン製作所は砲火による被害を受け、続けられなくなる。収蔵品はソ連軍に取り上げられる。

1950年

6月23日、企業は「人民所有企業国立マイセン磁器製作所」(VEB Staatlich Porzellan - Manufaktur Meissen)という名で伝えられる。

1958年

収蔵されていた作品がソ連軍より返還される。

1960年

6月6日、マイセン設立250年記念祝賀会開催。第二次世界大戦後、初めてマイセンのコレクションを美術館に展示。
ルードヴィヒ・ツェプナー(Ludwig Zepner)
ペーター・シュトラング(Peter Strang)
ハインツ・ヴェルナー(Heinz Werner)
3人による、芸術の発展を目指すグループを設立。

1970年

ルディ・シュトレ(Rudi Stolle)
フォルクマール・ブレッチュナイダー(Volkmar Bretschneider) の二人が新メンバーとなる。

1973年

ルードヴィヒ・ツェプナーが「グローサー・アウスシュニット」というフォームのサービスセットを発表し、大成功を収める。

1974年

グローサーアウスシュニットに、ハインツ・ヴェルナーがデザインした「千夜一夜物語」を発表。高い評価を得る。

1982年

ヨハン・フリードリヒ・ベトガー生誕300年の祝賀祭。

1990年

東西ドイツ統合。これを機に、ザクセン州所有の「国立マイセン磁器製作所」となる。


アルルカンとコロンビーヌ
原型
パウル・ショイリッヒ


マイセン絵付師


ブルーオニオン
原型 ノイアー・アウスシュニット


千夜一夜物語
原型 グローサー・アウスシュニット

※ ここに掲載の写真は、お取り扱いできないアンティークもあります。
参考写真としてご覧下さいませ。




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